私は、目では本当に苦労しました。
私が、小学生3年生の時だったと思います。
友達らと遊んでいる時近所の大人たちがキャッチボールをしていて、
投げ損なったボールが私の左目にまともに直撃したのです。
左目はみるみる内に腫れ上がったと聞いています。
その日から数日で腫れもとれ、眼科へ行っても異常なしということで
両親そして加害者もホッとされたようでしたが、それから、2年3年と
経つにつれ、徐々に左目の視力が落ちてきたのです。
徐々に視力が落ちてきたので、左右の視力の違いによる遠近感は、急に
なったのと違いはさほど生活では感じなかったです。
小学6年生の時、大好きだった野球(当時子供会のソフトボール)も
フライが上がると遠近感がわからず、今まで捕れていたものが捕れなく
なってしまい諦めることになりました。
その時点で加害者に文句言っても後の祭りです。
中学に上がった時には、左目は、0.1以下となり、右目に負担がかかり
右目も0.4となってしまいました。
当時本当に心配でした。左目はほぼ盲目状態、もしこのまま右目が
どんどん悪くなったらと、、、、。
いや見えなくなってしまったらと、、、。
中学1年生からめがねとお友達になったのでした。
当時コンタクトもあるのはありましたが、まだ今のようなものでなく、
ガラス製でした。
説明も聞いたのですが、まだ成長期でもあり、どんどん視力は変わる
可能性があるとのことで、コスト的にめがねとなりました。
それから、確かではありませんが、26歳ぐらいまでめがねのお世話に
なっていました。
そして、コンタクトに移行。ハードタイプです。それも右目だけ。
左目は、めがね、コンタクトでは視力アップは無理だったからです。
そして、数年後ソフトに。
海外の出張時も煮沸消毒用の機器をもっていってました。
電圧、コンセントの形式が違うので、トランスやコンセントプラグなども
持っていった記憶があります。
当時は、まだ使い捨てのソフトレンズも日本には入ってきていませんでした。
弟がアメリカに留学していたのですが、当時使い捨てソフトレンズがあり
弟は利用していました。
それから、何年後か忘れましたが、やっと日本でも上陸し、すぐ切替えました。
もちろん1DAYタイプです。1WEEKなんてものはまだ、、、。
と 長々と目で苦労したことを書いてきましたが、それでは、テーマのレーザー
手術のお話です。
今の嫁と一緒に住むようになったある日、タクシーにレーザーで近視が
なおるというパンフレットと巡り会えたのです。
ずっと目に悩まされてきた私 感動しました。
これでコンタクトともおさらばできるんだと、、、。
翌日、嫁と一緒にそのパンフレットに書かれている場所へ。
新大阪のはずれの雑居ビル 少し怪しい感じもしたのですが、今までの目の
苦労がなくなるといううれしさが、その不安感も消していました。
受付をし、そのレーザー手術に関する説明を受けました。
今見えている視力の10倍見えれば、OK。平均5倍ぐらいですと。
またこの手術をした場合、2度とコンタクトはできないと言われました。
私は、嫁に相談することなく、手術することを決めたのです。
まだはっきりと覚えています。
片目70万円 両目120万円でした。
私は、片目で70万円のローンを組んで手術をしたのです。
今は、すごく安全で両目でも12万円ぐらいと聞いています。
今考えたら、すごいことを即決断したと思います。
後で知ったのですが、まだ認可もされていなかったようです。
いろいろと失敗などの問題があり、裁判沙汰になったとも後で知りました。
その時の右目の視力が0.03ぐらいだったと思います。
牛乳瓶の底みたいなレンズでしたから、、、、。
最高で10倍 0.3に戻る。
それでも悪いのですが、私は、催眠術にかかったかのように、何も考えず
手術を受けました。そうです。失敗していたら、盲目になることも考えず。
まず、目薬タイプの麻酔をして、何十分間麻酔が効くまで待ち、手術室へ
手術は10分かからなかったと思います。
そして、目薬を頂いて帰る最中に、夫婦喧嘩です。嫁に相談もせず、大事な
目の手術、おまけに70万という借金で嫁はカンカンだったことを覚えて
います。
帰宅し、麻酔がとれはじめた頃、涙が滝のように溢れ流れる状態に。そして
麻酔が完全に切れてからが大変でした。
瞳部分が痛い、でもさすることもできない。涙はボロボロと嫁はまだ怒って
いる。最悪でした。罰だったのでしょうね。
それから、数日後少し見えるようになったのですが、夜車などのライトが
当たるとレーザーで切った形でまぶしいのです。
(たぶんその部分から光りが中へもれてだと思う)
術後、どれぐらいしてからか忘れましたが、視力も落ち着き、奇跡的なのか
視力が1.0まで回復したのです。約30倍以上なのです。
すごくうれしいです。今でも0.9は見えます。
認可もされていない。しかも後々問題になり、一時消えてしまったレーザー
手術。本当にラッキーな手術でした。

