私がどんな人間なのか?
一言で言えば、 「強引MyWay」。
自分がこれだと思い、考えれば、すぐ行動してしまう。
他人には迷惑をかけることはしないが、どうしても身内には心配という迷惑をかけてしまった。
両親には、本当に心配ばかりかけた。
想像以上の心配を・・・。
といっても警察のお世話にはなっていませんが。
だから、いい死に方はしないと思ってます。
どんなことをしたの?って言われることと思うが、いっぱい
あるので、これから、
徐々にお話していきたいと思います。
一番はじめのことを少しお話しますと、
父は、非常に厳格な人で、大学生になっても門限19時と
いうなかなかの人でした。
もちろん それまで外泊もしたことがなかったです。
家業をしていたこともあり、中学から春、夏、冬休みは、手伝いでした。
バーゲン時期は、お得意先の店頭で大声あげて販売してました。
友達との付き合いもできなかった。
そんなある時(大学2回生の夏)、自立しようと思ったのでです。
といってもお金がない。
そこで考えたのが、住み込みです。
そして親に対しての意地で大学はでたい。
いろいろ考えた結果、新聞配達員であった。
大学の近いところで、その希望は叶ったが、神様は、親不孝者に試練をくださいました。
その新聞販売所は、すごく折り込み(チラシ)が多く、そこの所長は働かない。
つまり、すべて私に教え、後は私にすべて任せるというものでした。
朝は、2時に出て、新聞を受け取り、自分とアルバイトさんの折り込みを新聞に入れ、
それが終わって配達。
配達も2~3人分、それが終わり帰ってきたら、10時まで不配当番(配達ミスの電話当番)。
それから、寮に帰って1時に出勤、夕刊が終わるのが、6時前そして明日の折り込み準備。
これがすごく時間がかかるのです。
なんせ、量が多いから、普段の日で、11時ぐらい。金土なんかは、1時前ぐらい。
寝る時間がなかった。
その合間を見て大学。
半年間ですべての地域を覚えさせられた。
なぜでしょう?
それは、アルバイトさんが休んだとき、代配させるためです。
また、新規、継続の販促のためです。
寝るところはあっても、食事なし。
だから、はじめの給料をもらう1週間は、お金がなく、
水だけという経験もさせて
もらった。
もちろん、家具なんてなし。
持っていたお金で買ったふとんだけ。
でもそれだけ働いたのなら、給料すごくもらったでしょ?と思われたかも知れませんが、
10万ちょい。
その時は、分からなかったが、後で働いた違う新聞販売所で同じ
ぐらいの配達部数で25万
強でした。
この社会人?スタートが今から考えて、丁稚奉公的な所でよかったのだと感謝しています。
こんな感じで、だらだらとした文章になるかと思います。
なんせ国語力低いので。
お許しください。
末永く購読のお付き合い頂ければと思います。
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