社会人1年生

 無事大学も卒業し、書道の筆で有名な某会社にめでたく就職。

就職して3ヶ月見習いも終わり、一人営業に出ている途中、偶然にも父が経営している会社の社員と出会う。

彼の話によれば、祖父が肺ガンで入院しており、そんなに長くないので、一度、家に連絡してみてはどうかと言われた。

家を出て、3年弱、私をかわいがってくれた祖父、ここは、連絡しないと男じゃないなぁと

思い、重い受話器を手にとった。

できれは、祖父の付き添い看護(朝から夕方まで)をしてくれないかと父親から頼まれ、

せっかく就職した会社にも事情を話し、引き継ぎ後辞め、羽曳野市にある某病院の看護が

始まる。

大学卒業後、府営住宅の堺の泉北ニュータウンに住居を替え、そこから病院までの往復と

なる。

私は、初めて人間が死に向かっていく状況を経験したのです。 

私が通い始めた頃は、意識もあり、いろいろ昔話をしたのですが、徐々に正気な時が

減っていくのです。

昔の記憶が急に呼び起こされたかのように、私を父親の若い時と被さり、いろいろ話

するのですが、ちんぷんかんぷんであいづちを打つだけだった。

一番辛かったのは、年も年だったせいもあるのだが、皮膚に脂っ気がなくなり、カサ

カサ状態で、無意識に爪で激しく掻く為、顔、身体がみみず腫れした爪の痕が残り、

しまいには、血をにじませることもあった。

いくら爪を切っても力ずくで掻くため、傷が減らず、傷口が炎症を起こしたりする為、

最後の手段ということで、両手にタオルで覆いかけないような処置をされた。

本人は、それをされたこともいやだったろうし、かゆいところがかけない苛立ちで、

私にそのタオルを外してくれと頼むのでした。

取ってあげたくても取ることができず、私が代わりに掻いてあげるのですが、気に

くわないらしく、何度も何度も私にこれをとってくれとせがむのでした。

その時の顔と声今でも思い出すぐらい辛かったです。

私が通い始めて5ヶ月ちょっと11月の22日に帰らぬ人となった。 

あんなに頑固で元気だった祖父、でも病気には勝てなかった。 

いつかは帰らないといけないことは、わかっていても別れは辛い。

人間の死 死を待つ人間 その半年弱の期間 いろいろと勉強させてもらった気が

します。

祖父が亡くなって、父が経営する会社で働くことになるのです。

会社といってもちっちゃな会社、当時のメインは、紳士物ソックスでした。 

年商も7億弱ぐらいだったと思います。

初めは、先輩の営業に連れられ、お得意様への挨拶と場所を覚えること。 

基本的に西日本にお得意様があったのですが、私が回ったのは、大阪市内だけ。

それでもソックスというアイテムだったので、バッティング問題(競合店同士は

同じメーカーは嫌がる)もないので、市内だけでも100店舗以上はあった。

それをまずは、覚え、それらを覚えると前日営業が受けた注文の品を納品する業務

をする。

そして、時間が余ると新規のお店にサンプルを持って飛び込み。 

なにの指導もなく、サンプルを持っての新規拡張。 

根性がいる。

まず店に入るタイミング、そして何を話せばいいのか。

何もわからない私は、まず、ターゲットの店を見つけ、名刺を準備、そして何も考えず、

店内へ(躊躇すると入れない)

そして、

「まいど!」と大きな声で一言。 

そのまま店内のレジ近くまで

そして、「新規のメーカーの○○○の○○です。 はじめまして。」

先方:「何屋さん?」

私:「ソックス屋です。」

先方:「今△△△が入ってるから いらん!」

初めは、その「いらん」と聞くと次の言葉がでなく、「また お願いします。」と

言って退散。

一日5件は行ってましたが、ソックスが入っていない店なんかあるわけがないのです。

一週間そんな繰り返しの新規拡張をしている内に、精神的緊張もなくなり、少しずつ

余裕が生まれて来ました。 

恐ろしいものです。慣れというものは、、、、。

だいたいが、言われる会話パターンが同じなのですね。

だから、こう言われたら、こう話を進めようと決めていくのですが、また断られるんですね。

だったら、こう言って、こう言われたら、またこう言って、、、、、。

としている内に会話になってくるのです。

私は、右も左もわからない新人です。

必死ですよね。

その必死さ、熱意がだんだん相手に伝わっていくのです。

取引まで行かずとも、お茶を出してもらったり、仕事以外の世間話をしたりと徐々に

初めてのお店にいる時間が長くなってきました。 

話のパターンもだいだい同じ、親しくなってくれば、普通のお話でいける。

初めて新規拡張をし出して、2週間目ぐらいだったと思います。 

はじめて取引ができたのです。

今もその場所を覚えています。

それからは、とんとん拍子で新規を増やしていきました。 

また、取引できていない店でもお話できる関係で、ちょくちょく遊び?に行けるお店が

たくさんできたのです。

いわゆる見込み客ですね。

そして入社後半年になった頃、大阪南地区(大阪府の南半分)の担当をさせてもらいます。 

新規拡張の方も平行してやってました。 

今は、元気がなくなったスリー○ムさんへも飛び込み、取引してもらう様になる。 

自分では、初めての大型店舗。

その商談して頂いた責任者の方とも今現在も個人的にお付き合いしております。

倒産した時もすごく心配して頂き、いろいろ助けて頂いた方です。 

また彼のこともどこかで紹介させて頂くことにして、、、。

私を変えた某ショップ(ミナミアメリカ村では有名な店)の社長と会うことになるのです。

と言っても、この社長は、父の丁稚時代の友達なのですが、、、

その社長からの一言がなければ、今の私がないぐらい衝撃な言葉でした。 

それまでの私は、父の存在、いわゆる七光りというものが、私には、凄いプレッシャーに

なっていたのです。

「おっ あんたが社長の息子かいなぁ?」 とか 

「あんたの親父は凄い人やからなぁ」 

という言葉を聞く度にプレッシャーを感じました。

そんな私を変えたその一言に関しては、次回お話させて頂きます。

この時期のお話は、どちらかと言うと真面目なお話になるのではないでしょうか。 

まぁ あまりおもしろくないお話が続くかと思いますが、気長にお付き合い頂ければ

ありがたいです。

だんだん私というものの自立?した頃から、いろんなおもしろいお話ができるかと思います。

では、

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