台湾の出張のお話を今日は、していきたいと思います。
台湾は、大手商社とは行かず、個人商社の人との台湾メーカー新規探ししなります。
台北でお世話してくれる始めての方は、中年で日本語できるのですが、凄くええ加減な方で軽いので少しの期間メーカー探しに動きましたが、断りました。
次にお世話になった方は、自分の父親ぐらいの方で、日本語もベラベラで凄く紳士的で仕事のできる方でした。
私は、台湾のお父さんと呼んでいるぐらい頼りになり、冗談の通じる方でした。
当時から、仕事以外の時間は、日本、韓国、でも地美の名前を使っていましたので、台湾でもこの地美を使ってました。
その名前で名刺も作っていたくらいです。
なぜ地美になったかは、以前お話しましたが、本名は、ありふれた名前で、また良くミナミで遊んでいた時に昼間の仕事中に偶然あった方に本名で呼ばれるのも困るので、仕事が終わったら、地美に変身していました。
もともと私自身の容姿、キャラが印象に残りやすいタイプですし、名前も変な名前だったので、どこへ言ってもすぐ覚えてもらったので、これはこれでよかったのです。
何度か台湾へ行って取引することになったメーカーさんのご招待で、台北では最高の中華飯店へ連れて行ってもらいました。
そこで、台湾のお父さんが私のことを冗談で日本の芸能人なんだと店の方に話したら、本気にして、分厚いサイン帳を持って私にもサインを頼むと言われたのです。
そしていろいろそのサイン帳を見させて頂いて、なぜか途中なのに右のページに白紙のページがあったのです。
店の方に聞くと、左のページはテレサ・テンのサインで、理由は不明ですが、台湾の芸能人の方は、そのページにサインしてもらえないと聞き、それじゃー私がここにサイトさせて頂きますと言って、テレサ・テンの右横に「地美諭真」とサインらしくサインしてきました。
たぶん今でもそのお店のサイン帳には、私の芸名?のサインが残ってると思います。
以前お話した地美の由来はお話しましたが、「諭真」については、まだだったとおもいますので、ここでお話させて頂きますと、別れた韓国の彼女の名前です。
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